午前4時の治療行為

 コンビニ前のガードレールに座ってタバコを喫っていると、男が近づいてきて隣でタバコを喫いはじめた。マルボロのにおいがする。そんな気がする。そういえば、「味」の80%まではにおいによるものだって、本で読んだ。だから風邪をひくと味がわからなくなっちゃうんだな。嗅覚が鋭い=味覚が鋭い だとしたら、嗅覚が鈍い人の「美味しい」はあてにならないのかな・・・・・・
「あの」
 わたしが横を見ると、男は目を伏せすこし口ごもった様子をしてから、またわたしを見た。
「なにか病気やってるでしょ」
 病気? わたしは半笑いで首を横にふった。
「もしかしたら今じゃなくて過去かもしれないけど、なにかつらいことあったんじゃない」
 つらいことなかった人なんていないでしょ。そんなありふれたこと、占い師だって言わないよ。安っぽい口説き文句みたい。ああ、でもその前にこの人・・・・・・
「目が濁ってるんだ」
 男は黙っているわたしを見たまま静かな口調で言った。完璧に口説いてるわけじゃない。わたしは「そう」と言って微笑んだ。それから「たまに言われる」と。
「なにか心に問題抱えてるでしょ」
 この男はなんでこんな話し方をするのだろう。自発的に面倒な状況を誘因しているとしか思えない。誰にでもこんな調子なんだろうか。もし、相手が話しはじめたら一体どうするつもりなのか。光をつかみそこねたような、ダークでありきたりな際限のない告白に、わざわざ耳を貸してやったりしてるのだろうか。
「ていうか、摂食障害やってるよね」
 虚をつかれた。わたしはそのはっきりとした不穏な単語に驚き、否定も肯定もできなかった。そして、気づいたら笑っていた。男は笑わなかった。ずっと静かな表情でこちらを見ていた。自分よりもすこし若く見えた。
「コンビニで見てすぐわかった。この子、目濁ってるなって。俺そういう人いっぱい見てきてるからわかっちゃうんだ」
 最近3キロ太った。言いかけてやめた。そんな過程を言ったところで意味なんてないし、どんなきっかけも与えたくなかった。外見で判断したとしても、目だけで判断したとしても、どっちにしたって笑ってしまうくらいショックだ。笑ってしまったってことは、肯定したのと同じだ。
「脚ほそいね」
 そう言って、男はわたしの膝に触れた。性的な感じは全くしなかった。
「ほそくないよ」
 反射的にわたしは言った。そんなこと言われた経験はなかった。
「ほそいよ」
 やはり男は静かに答えて「俺の脚さわってみなよ」と言った。わたしは男のジーンズの膝に触れ、もう片方の手を自分の膝に置いた。手のひらに硬い筋繊維を感じて、流れるような紡錘形のイメージが浮かんだ。
「な、ほそいだろ」
 男はなんの感慨もなく、こともなげに言った。
「・・・・・・うん。ほそいね」
 わたしは手がそえられた膝に視線を落としたまま、ちいさな声で繰り返した。それは分析を必要としない、シンプルな実験結果だった。